End’s note

ゲーム好き社会人!

#12 頑張り方を変えよう

 

僕は恵まれている。

 

普通の家庭に生まれ、普通に学校に通い、それなりに良い成績を取り、運動も並くらいはでき、周りの人からもよくしてもらっている。こうして僕は何不自由無く育ってきた。

何不自由無く成長できるのはきっと恵まれているんだと思う。そう恵まれているのだ。

 

だから、これくらいの苦労でへこたれるなんてダメなんだ。頑張らなきゃ。もっと大変な人と比べたらこんなの全然苦労してるうちに入らない。そんなことで嘆いていちゃダメだ。これは自分の努力が足りないんだ。頑張らなきゃ。

良い結果が出た、これは努力の結果だ。

さすが、君はすごいな。次はここを目指そう、もっと頑張ろうな。そうだね、頑張らなきゃ。

 

........

(ダメだ、どうしても良い結果が出ない。努力が足りない。でもどう頑張っても良い結果が出ないんだ、ダメだ、頑張らなきゃ。)

 

 

ついに我慢の限界がきた。

心が疲弊してしまった。

 

 

幼少期、僕はなんでもひとりで出来てしまった。なんでもひとりで出来てしまうこと、これは恵まれているのだろうか。恵まれているんだろうと思ってた。

でも最近、多分ちょっと恵まれていない部分もあるのかなって思う。なんでかって、周りから「あいつはなんでもできる凄いやつ」っていうレッテルを貼られるから。いつしか、助けの手もいらないって勝手に周りに思われるし、自分も周りの助けなんてなくてもなんでもひとりでできるって勘違いしてしまうから。

これってすごい不遇なんじゃないかなって思う。本当は助けて欲しいって自分の心が叫んでたとしても、仮面を被った自分が、それに騙されている周りが、それに無意識のうちに蓋をしてしまう。そうやって偽り続けると内側から崩壊する。

 

今、自分が如何に出来ない人間なのかということに気付かされる環境にいる。それは、僕にとって経験したことのない苦しみだったけど、気づけてよかったのかなって思う。やっと自ら周りに助けて欲しいと手を伸ばすことが出来るようになった。周りの力って自分が思ってるよりはるかに偉大。

 

完璧な人間になりたいと誰しもが憧れる。けど、いろいろ考えた結果、完璧な人間なんていないんじゃないかなと思う。でも、完璧に見えるすげえ人はいる。じゃあなんですげえ人は完璧に見えるのか。すげえ人は言う、「私の成功は周りの方々の支えがあってこそです。」と。

すげえ人に孤独な人なんていない。すげえ人は、周りの力を盛大に借りて、その力に自分の力を上乗せしている。実は、すげえ人は能力的には周りと変わらなかったりするけど、周りを巻き込んで力に変える力が段違いなのだ。完璧な人というのは、僕の勝手な想像で創り上げられた、空想上の生き物なのだ。きっと完璧にみえるあの人にも出来ないことはあるはず。そうでなきゃ面白くないよな。

 

僕の中の完璧な人間像は崩れ去った。自分が出来ない人間であることを認めた。だからこそ、もっと自分の心に耳を傾けたい。そして、もっと貪欲に本気で周りに、力を貸してくださいと叫ぼうと思う。きっと誰か力を貸してくれる人が現れる。

 

 

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ひとこと

 

最近物凄く忙しい。

でもゲームはしたいし、漫画も読みたい。

案外、息抜きすると作業も捗るよね。

 

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